文系お姉さんの日記

また無職になったぞ!!!!!文系お姉さんのnotリアルタイム日記

フィルムトイの『ジュースカメラ』が楽しい

最近はフィルムのトイカメラにはまっている。

それまでデジタルのトイカメラは持っていたけどイマイチ使いこなせなかったし、かと言ってスマホやデジカメで撮ったものを加工してトイカメラ風にするのもあんまり好きじゃなかった。


以前の記事でトイカメラを掃除しようとして分解したらぶっ壊してしまった話があったが、その後買い直したものがこれ。ジュースカメラ。

可愛い見た目でちゃんとカメラ。しかも使い捨てじゃないやつ。紙パックのジュースみたい。
ストロー部分がシャッター兼オンオフのスイッチで、カチッと押すとシャッターが切れる。あとぐいって回すと勝手にシャッターが切れないようにロックできる。

使うときはこの向き。ご覧の通りシャッターが横になっている。手ブレしたとしてもそれも味か。もちろんフラッシュ無しなので明るい所で撮らないとダメ。

この「細かいこたぁ気にすんな、写るから良いっしょ」的なカメラ、当然デジカメと比べればぼんやりした仕上がりの写真になってしまうが、そこはトイカメラである。くっきり綺麗な写りを求めるならジュースカメラどころかトイカメラ自体買うもんじゃない。





先日スマステで紹介していた、写真を直撮りしてスキャンできる『フォトスキャン』というアプリを使用。


今回使ったフィルムはFUJIFILMの業務用フィルムiso100。安いからビビらないでばしばし撮れる。フィルムって本体+現像代が高い……。

でも楽しいわー。フィルムカメラ楽しいわー。

一応ミラーレスも持っているが、よっぽどお気に入りの写真が撮れない限りプリントすることはほぼない。
しかしフィルムカメラなら現像しプリントしてもらわないと出来上がりがわからないのだ。ちゃんと一枚の写真にしないとお気に入りか失敗かもわからない。

デジタルはデジタルで好きなところはいっぱいあるし、確実に綺麗な写真を狙って撮りたいならやっぱりデジタルだと思う。
でもフィルムカメラの、しかもトイの良い意味でざっくりした写りも大好き。普通に撮っただけの一枚が、どこか古い絵本を思わせるようなノスタルジックな雰囲気を醸す(気がする)。

今度は感度高いやつとか違うメーカーのとか、モノクロのフィルムで撮りたいなーって思ったり。


そしてド下手なりにフィルムの楽しさを知ったところで、遂に一眼レフに手を出そうとしている。デジイチと迷ったけどフィルムでいく。
一眼レフはまた色々勉強しないといけないけれど、大人になって勉強する機会なんてそうそうないしあくまで趣味の勉強だから楽しみ。

いつか自信持って人さまに見せられる、『作品』が作れたらいいなぁと思っている。



お題「カメラ」

みんな悩んでいる

くよくよするタイプではないが、それなりに悩みはある。
ブスとか頭が悪いとか、ちょっと深刻なことだと病気とその治療費のこととか。

自分は他人より劣っていると常々思っていて、それが悩みの大部分を占める。自分が自分ではなかったらこんな悩みなんてないだろうな、とも思う。

例えば私がガッキー似の天才美人女医だったら今の悩みはほぼ無くなると思う。容姿、知性、社会的地位に収入、そういったものが悩みだから。


では私が本当にガッキー似の天才美人女医になったとして、全く悩まなくなるかと言えばそんなことはないのだ。

今の悩みは今の私だから悩んでいるのであって、全くの他人になったらまた別の悩みが出てくるだけなのだ。現に私以外の人だってほとんどが悩みを抱えている。自分じゃなくなると悩みがなくなるなら、自分以外の他人で悩んでいる人はいないことになる。そんなことはない。


人間はどう頑張っても自分以外にはなれない。だから他人のことを完璧に理解することはできないのだ。せいぜい言動を見て大まかに心情を察するくらいだ。

悩んでいるときは特に他人の表面しか見えないから、他人が悩んでいることに気づかないのだ。更にやけに悩みを隠すのが上手い、一見人生チョロかったアハハに見える人がいるから余計「自分はこんなに悩みがあって、ああなんて惨めなんだろう」と悩みの上塗りをしてしまう。

ガッキー似の天才美人女医だって何かしら悩みはあるだろうし、もしかしたら自分以外の人になりたいと考えているかもしれない。
イケメンモデルだって整形したいくらい自分の鼻が気に入らないのかもしれない。

それはパッと見「贅沢な悩み」あるいは「自虐風自慢」と取れるかもしれないけれど、でも本人にとっては真剣に悩んでいることだ。


だから他人を見て「この人は悩みなんかないだろうなぁ幸せだろうなぁ」と思うよりは「みんな何かは悩んでいることがあるんだろうな」とぼんやりした謎目線でいた方が精神衛生的に良いと思う。


ちなみに自虐風自慢はどんなに悩んでいる風に見せても、どこか得意げで余裕こいてる雰囲気があるからすぐ見破れる。誉め殺しか優しくスルーしておくと楽である。

初めてしゃぶしゃぶ食べてきた

24年生きてきて一度も食べたことがない、と前々からあちこちでこぼしていたら先日連れていってもらえた。

本当に食べたことがなく、したがって食べ方も知らないので、こっそりスマホで『しゃぶしゃぶ 食べ方』を検索していた。レシピばっかりで役に立たなかったが。

どのくらいしゃぶしゃぶに対して知識がないかというと、囲んでいるあの鍋の中身は真水(お湯)だと思っていたくらい。ただ水で煮て美味いのか、とずっと思っていた。そのあとタレにつけて食べるのも知らなかった。


実際に食べてみて、焼肉みたいに「肉だ肉だ肉だ!!!」ってノリで食べるものではなくて、穏やかに「おいしいねー」って言い合って食べるものなんだとわかった。

おいしかった。



実家を離れてから割と食に関して興味が出たというか、結構食べられるようになった。

好きな食べ物を遠慮して食べなかったり、逆に取られないようにがっついて食べたりしなくていい生活は精神衛生的にとても良い。

食べ物を分け合うのも大事だけど、分け合ってもお腹いっぱい食べられるようにしないと異様に食に執着するか逆に興味無くなると思う。



しゃぶしゃぶを食べたので、これで食べたことがないけど食べたいご馳走はすき焼きだけになった。これに関しては味もわからない。すき焼きのタレで煮たものは実家で出てきたけど、率先して食べなかったから味が記憶にない。

すき焼きを食べたことがないと公言すれば、また誰かが「じゃあ一緒に食べに行こうか」と言ってくれるだろうか。自分から誘えばいいんだろうが、何分にも食べたことがない故にどこで食べられるのかも知らない。焼肉で言う牛角みたいなお店があるんだろうか?

まあとにかくしゃぶしゃぶはとてもおいしかった。

喫煙者における『タバコを吸う』的な息抜きが欲しい

いよいよ都が喫煙者をしばきにかかっている。
私自身は非喫煙者だが、なんかもう喫煙者に同情してしまう。分煙で良いと思うんだが。ランチタイムは禁煙、もまあわかる。居酒屋禁煙あたりは可哀想だと思う。
子どもいる家は禁煙、も「よーし子ども産まれたからパパ禁煙しちゃうぞー!」って個人の意思でやるもんであって他人が口出して良い部分ではないんじゃないだろうか。
個人のモラルの問題なような気がする。

閑話休題

周りが非喫煙者ばかりなので、タバコには非常に興味がある。医者に「吸うと死に直結するからやめてください」と止められなければ多分吸っていたと思う。

吸っている姿がカッコいいのもあるが、タバコを吸うという動作で気分転換や暇つぶしができるのが羨ましい。
元職場はタバコ休憩が黙認されていて、喫煙所にはいつも誰かしらいた。何で休んでるんだよこっちは吸わんから休めねーよクソ、と思っていたわけではなく、そういうちょっとした隙間時間で出来る何かがあるのが羨ましかった。

それで代わりになればとしばらく小さいお菓子を持ち歩いてちょこちょこ食べたり、ジュースを飲んだりしてみたが、空腹でもないのに胃に食物を送るのは苦痛でしかなかった上に太ったので辞めてしまった。

じゃあスマホゲームでもやるかとドラクエ3を落としたら、今度はやり込みすぎて「休憩時間にドラクエやるために出勤している」状態になったので2周クリアを機に辞めた。なぜその集中力と熱意が仕事で活かされないのかと問い詰められたが聞こえないふりをした。

早めに待ち合わせ場所に着いたときとか、ご飯食べ終わっちゃって休憩終了まで10分くらい時間余ったときとか、そういうときに出来ることが欲しい。


家族に相談してみたら、ひとしきり考えた上で「バブリシャスでも齧ったらどうだろうか」という提案をされた。
喫煙所で老若男女が各々タバコを燻らす中、黙々とアメリカンなガムを齧り続ける成人女性の姿を想像してみて欲しい。息抜きどころか恐怖を与えることにならないだろうか?


バブリシャスはそのうち試すとして、今のところはamazonでひたすら買う気のない商品を眺めることを息抜き兼暇つぶしにしている。

もっとカッコいいことがあればそれにしたい。

お祭りの思い出

先日近所でお祭りがあって、浴衣姿の姉ちゃんや甚平きた兄ちゃんを随分見かけた。人混み大嫌い、祝い事やイベントのノリが照れくさくていまいちはしゃげない私はその日の晩ご飯調達のためにひっそりと祭りに顔を出してきた。

そこで大学時代に食べたどんどん焼き(箸巻きって名前で売ってた)を見つけ、せっかくだからと買ってみた。もっちりした生地がやっぱり美味しい。大学時代を思い出してちょっと寂しかった。

ふと頭に浮かんだのは、大学時代にボランティアで参加した某市のお祭りだ。多分初めてどんどん焼きを食べたお祭りだったと思う。そこで見た光景が、私の中で一番切ないお祭りの思い出だ。




お祭りが終わって帰りの駅でのことだった。

当時の私と同い年くらいの、浴衣姿の女の子が静かに顔を覆って泣いている。そばには困惑した様子の彼氏らしきイケメン。2人から(もっぱらイケメンから)話を聞いている駅員のおじさんは、やはり困惑しながらも同情的な目をしていた。

駅には私と一緒にボランティアに参加した友人と、そのカップルと駅員さんしかいなかった。この時点で気まずい。夜遅く、田舎の駅だったので静まりかえっていたため聞き耳を立てれば話している内容も聞こえそうだったが、流石にそんなことしたくなかった。

お祭りを楽しんでもらうためにボランティアをして、それが上手くいってお客さんワイワイ運営ウハウハな結果で終われたのだ。疲れたけど楽しかったし最後の花火綺麗だったねーなんてキャッキャと喋りながら帰路についていたのだ。
それなのに目の前で女の子が、しかも浴衣をきっちり着付けてお洒落もした女の子が泣いているのだ。私と友人がボランティアしていたお祭りを、彼氏と楽しんだであろう女の子が。
つらすぎないだろうか。私の考えすぎだろうか。

時折何か話すために顔を上げる女の子は、よく見ると学科は違えど同じ大学の学生で、更に当時よく利用していたスーパーでレジ打ちをしていた子だった。気まずすぎだろ。

別にこちらの顔は覚えてないだろうが、何故か悪いことをした気になってとりあえず俯いて顔を隠した。電車が来るまでの数十分、ほんとに地獄だったと思う。



と、ここまで書いて「お祭りでの思い出じゃなくてお祭りの帰り道での思い出だったわ」と気づいたが、お祭りのことを思い出そうとするともれなくその光景がセットで引っ張り出されるのでもうお祭りでの思い出ってことで良いでしょう。

真相はわからんけど、きっと女の子はスリに遭ったか何か落としたんでしょうね。怪我してる風もなかったし、特に身なりが乱れてることもなかったので。


これを筆頭として、あんまりお祭りに良い思い出が無いのだ。だから余計に楽しめないのかもしれない。他のお祭りエピソードについてはまた気が向いたときに書こうと思うのでここでは触れないでおく。

楽しかったのは2年続けて行った花笠祭ぐらい。あー懐かしー、もう一回行きたいなぁ〜

久々のわりにオチのない話

最近仲良くなった人がカメラ好きだった。

私もカメラってか写真好きなので一緒に撮りに行ってきた。彼女は良くカメラ好きな友達と旅行がてら撮影しに行っているようで、そりゃもう綺麗な写真ばっかり撮れる。

私といえば、可愛い女の子のポートレートが大好きで「いつかモデルさんの撮影会行きたいなぁ」という下心でカメラを所有しているだけなので、正直くっそヘタクソである。特に風景なんて「え、これなんで撮ったの?事故の実況見分?」レベル。

それでも撮った写真を現像してもらうと、なんだかいっぱしのアーティストになった気分になれて満足である。文章にしろ写真にしろ、どんな創作物も手に取れる形になると気分アガるね。


で、何と無くカメラって楽しいなぁと思い始め、ちょいとフィルムカメラなんかに興味が出てきた。

現在は少々古めのミラーレス一台のみ所有していて、もう一台くらいあってもいいかなぁなんて考えたのだ。一応近所のカメラ屋さんに相談したら、明らかにクソ高いデジイチを売りつける気だったので逃げてきた。

そこで、実家に転がっていたトイカメラを回収してきて使おうと思った。おそらく十数年前に家族がどこからか景品でもらってきたものだったが、誰もカメラに興味が無かったので放置されていた。

壊れているところやカビがないか点検したらところ、放置されていたわりに保存状態は良かったようで内部は綺麗だった。ただ、外装の下にホコリが入っていて(外装が透明なプラスチック)、こりゃ取らないかんと精密ドライバーで分解。


が。細かい作業が好きなわりに短気で不器用、更に屈強な上半身を持つメスゴリラな私。

見事外装のみ破壊。どうすりゃネジ外して外装取り外すだけで壊せるのよ…

こう、ちょっと手間かかる作業を一気に済まそうだとか、引っかかるところを筋肉で解決しようとしちゃダメね。
結局、あまぞんでフィルムのトイカメラ買い直した。最初からこうすれば良かった。


さて、カメラを買ったはいいけど何を撮ればいいんだろう。多分今の腕前でトイカメラを使っても「飼ってる猫にイタズラされてシャッター切れちゃった?」みたいな写真しか撮れない気がする。

またカメラ好きの彼女と遊びにいく前に、それなりに写せるようにしたい。
あと、ぶっ壊したカメラと持て余した精密ドライバーの使い道を考えたい…

そーれイッキ!!!イッキ!!!

よっぽどのことがない限り出された食事は完食するようにしている。

と言うのも実家だと人数が多くておかず争奪戦になったり、一個しかないお菓子を何等分もして分けて食べたりしていたので「私ひとりでお腹いっぱい食べていいなんてありがたい!」と貧乏性が炸裂するからだ。
あとは中学生の頃からちょいちょい料理するようになって「頑張って作ったのに残されるとムカつく」「残されると片付けが面倒」と思ったから。

だから家族が作った料理もファーストフードも、知り合いの作った手作りお菓子も基本的においしくいただく。外食してエビフライが出たら尻尾まで食べてる。


で、その残さない対象、最初に出される水も含まれているんですよ。

他人が半端に飲み残した水を片すのも嫌だろうなぁ、って飲み切ってから席を立つようにしているのだけど、これがカフェやレストランだとグラスが空く前に「お注ぎします」されてしまう。また飲む。また「お注ぎします」。3杯くらい水だけ飲むのでお腹がぶがぶである。

最近は財布と伝票を握りしめ、店員さんがよそ見をしているうちに一気に飲んでお会計までダッシュするようにしている。サービス心から逃げるという意味不明な行動である。
飲み残せばいいんだけどね。


しかし今日、行きつけの喫茶店で最初から水入りグラスを2個出された。私は「いつも喉が渇いている、水好きな客」と思われているようだ。もちろん2杯とも飲み切った。


似たような価値観の人、いないかなぁ。