推しに認知されたくない
私は本郷奏多のファンである。
ファンというか信者、それも狂信者だ。本郷奏多は芸能人どころか全人類の中で最も好きな人間であり、好きの度合いが行き過ぎて信仰や崇拝の域に達しもはや神だと思っている。信仰する宗教を聞かれれば本郷奏多と即答できるレベルである。
正直「本郷奏多」という文字列を見るだけで興奮するし「ほんごうかなた」と発音しただけで昇天しそうになる。
そのため私は本郷奏多を滅多にフルネームで呼ばず「かなたくん」や「かなたん」と呼んでいる。みだりに神の名を口にしてはならないという戒律でもあるかの如くである。
ここまでで大量に本郷奏多とタイピングしたが、いかに私が荒ぶっているか伝わるだろう。
しかしながら私が本郷奏多を直接生で拝見したのは1回のみ、某大学でのトークショーだけである。そこで質問コーナーもあったのだが何もせず、整理番号で本郷奏多のサインがもらえるくじ引きが行われても当たらないように祈っていた。
理由はただ一つ、私という存在を認知されたくないからだった。
はっきり言って私の本郷奏多への心酔っぷりははたから見てキモいだろう。私だってキモいと思う。得体の知れないキモさを己に感じてドン引きする。
他者や自己から見てそうなら信仰・崇拝・心酔される側はもっとキモいと感じるだろう。自分の一挙一動に美しい可愛い尊いと賛美されるのは恐怖でしかないはずだ。ちなみに私は本郷奏多がコートを着ていただけで感嘆の声を上げる。
本人に恐怖心を与えないように私はひっそりと愛を叫び続ける。握手会なんかとんでもない、街中でばったり会ったとしてもサインなんてもらわない。私の一方的な愛情は相手に伝わらなくて良いのだ。
言っておくが当然ストーカーをする気は一切無い。ファンクラブすら入っていないし。
本郷奏多が出演する番組や映画を観たり掲載された雑誌や写真集、カレンダーをかかさず購入して彼にいくらかでもお金が入り、そのお金で好きなゲームとかガンプラを買ってくれればそれでいいのだ。ぶっちゃけ毎月5万円くらい匿名で送金したいくらいだがあらゆる意味で無理なことは分かっている。
ここまで心酔しているのは本郷奏多だけだが、基本的に1回ハマった人に関しては信者くらいになってしまう。
この対象は基本的にアーティスト枠の方で男女は問わない。信者になってしまうので、もしご本人に会ったら半ベソで「好きですぅぅぅ……」しか言えないキモい生き物になるのが悩みである。
だからまじで認知されたくない。勝手に好きでいたい。遠くから眺めるくらいでちょうどいい。キモい愛情表現しかできないし、好きな人にキモいと思われるくらいなら死んだほうがマシだ。
例外的に、アーティストの作品だけを好きになった場合はそこまで熱狂はしない。
例えば写真家を作品で知ってファンになったときは、作品を買ったり個展に足を運んだりはすれども作家本人に前述のような言葉にならない愛情をぶつけることはない。積極的に作品について質問したり手土産を持って行ったりするくらい余裕があるのだ。
それは作家本人ではなく作品に興味があるからで、作品自体はどれだけ愛でてもキモいと言われることがないためだ。もちろん作家と交流するうちに作家本人も好きになるが、狂信的な振る舞いは絶対しない。一番好きなのは作品だから。
つまり私は本気で相手の全てを好きになった人間と親しくなることはできず、「この人年すら分からんけど良いもの作るなー」くらいの距離感の人間とはまあまあ仲良くできるという悲しい性を持っている。
もっとライトにファンでいられたらなあ。
こないだ歌手にファンレター出したのはほんとに奇跡なんだよ私にとっては。