文系お姉さんの日記

また無職になったぞ!!!!!文系お姉さんのnotリアルタイム日記

結局容姿なんざ自己満ってのはわかってるけど

容姿に関する悩みは尽きない。左右非対称の小さい目とかキメの荒い血色悪い肌、短い手足と筋肉がみっちりついたゴツい肩。背が小さいのに骨太で、いかにもメスゴリラである。病気になって骨密度が低下したんだから、中身がすかすかになるんじゃなくて細くなればいいのに。

 

 

好きな女性芸能人があんまりいないのは容姿に劣等感を覚えるからだ。「何でこんなに可愛いんだよ!」とイライラする。恋愛ドラマなんか面白くない。可愛い人がイケメンに愛されて終わりだから。ケッ。

 

 

しかしながらこの容姿へのコンプレックスはいわゆる異性目線、モテを意識したものではない。しいて言うなら同性の目、もっと言うなら自分自身の目を意識したものだ。

 

自分の容姿に満足している人間とそうでない人間のどちらが充実した日々を送れるのかは明白だろう。最も自分の顔面や体に密接して関わるのは他ならない自分自身だ。朝目覚めて顔を洗い、洗面台の鏡を見たときにクッソブスな、大嫌いな人間の顔面を目にした瞬間の嫌悪感と絶望。そのクッソブスが自分なのだ。

 

これが「そこそこ気に入っている自分」だとどうだろう。よーし今日もお洒落するかー私オレンジ系のチークだと肌綺麗に見えるんだよねーとか思うんじゃないだろうか。気に入っている自分を更に飾ってあげたくなるんじゃないだろうか。

 

正直自分の容姿に満足しているか否かに美人とかブスは関係ない。自分の顔が好きだと言い切れる人は自分自身を大切にしている人だ。私は自分の容姿が醜くて嫌いだから好きになれない。だから満足できないのだ。可愛くなりたいのだ。

 

 

あとはブスだと友達になりたい人がいるときにためらってしまうのが辛い。前述したようにクッソブスで大嫌いな自分を引っさげて人前に出ている。クッソブスで自分でさえ大嫌いな自分と友達になってくれだなんておこがましいし失礼だし、自分自身に嫌われる奴を好きになってくれる人なんていないし。

こうして卑屈で根暗なブスが生まれるのだ。

 

 

ブスとして生きる以上、美人のするものとは別次元の努力をしていくことになる。私の場合は愛想を良くすることに全振りした。いつも機嫌が良くてニコニコしてる私を「可愛いね」と言ってくれた人はいたけど、それは造形じゃなくて動作のことを言っているのだ。子ブタやブルドッグに言う可愛いと一緒だ。切ない以外のなにものでもない。

 

 

どうか来世は色白華奢な儚げ美少女に生まれて長身切れ長一重イケメンボイのお姉さんとイチャコラしてますように。

そういう人を癒す立場でありたい

中学時代は3年間、同じ男性教師が国語担当だった。

多分2年生のときに「盆土産」という小説を授業で取り上げた。出稼ぎに行っている主人公の父が、主人公が食べたことがないエビフライをお土産に盆に帰ってくる話。確か主人公の家には母親がいなくて(死別?)普段はおばあちゃんと姉との3人暮らしだったはず。

 

小説なのでまず初読の感想をノートにまとめ読み上げる、というのをやることになったが、当時は日に5食食べていたくらい常に空腹で、感想なんてエビフライおいしそうでしたしか思いつかない。内容もさっぱり頭に入ってこなかったので、自分の父が単身赴任していたときのことを思い出してそれを書いた。私も主人公と同じ経験してます、といった感じで。

 

 

私が幼い頃、父は単身赴任していた。今なら新幹線で2時間足らずで行ける場所だと知っているが、当時の私には父の働く街は外国ほど遠い場所だと思っていた。時々帰ってくる父はいつもお土産を買ってきてくれたけど、お土産より父が家にいてくれることの方が嬉しかった。

あるとき母と兄弟とで父の住むアパートを訪ねた。そのときのことはまだ思い出せる。実家とは全く違う、殺風景で色のない部屋。帰って寝るためだけの部屋だった。手紙の書けない私が父に送っていた幼稚園で作った工作だけがテレビ台の下に飾られていた。

それからしばらくして父は単身赴任を終えて帰ってきた。単身赴任中のことは今も話さない。私は父が単身赴任先に戻るたびに寂しいから嫌だと大泣きしていたけど、きっと父も寂しかったのだと思う。父は本当に家族のことを思って、ひとりで働いてくれた。私も家族を大切にしたい。

 

 

こんな内容だったと思う。苦手な音読を終えてノートから顔を上げると、発表を聞いていた同級生たちは静まりかえっていた。やっぱ内容に触れてないもんなぁ、と男性教師の方を盗み見ると、なんと涙ぐんでいた。同級生たちは男性教師が泣いていることに動揺していたらしかった。

すみません、と私は謝ったと思う。なぜかわからないけど。いやいや、と男性教師は涙を手で拭って、別の生徒への発表を促した。

 

 

あのときはなぜ男性教師が泣いたのかわからなかったが、現在なら理解できそうな気がする。

男性教師も妻子持ちで、家庭を守る男としての重圧に耐えていたのだと思う。私の父がひとりで知らない街に働きに出たのも、きっとその重圧のひとつだ。

 

 

私も子どもを持つともっと正確に理解できるのかもしれないけど、男女平等と言えど男性の重圧を完全に知ることはできないだろう。女性の苦悩を男性が理解できないように。

もっと万人に救いのある世の中にならんかなぁ。みんな心のどこかにあると思う、孤独を感じるばかりの色のない部屋。

 

 

お客さんの話

来店したお客様に「いらっしゃいませー」「おはようございます〜」と挨拶しながら品出ししてたんだけど。

一人で買い物に来てた60代くらいの女性のお客さんに「あなた良い挨拶ねー」と声をかけられた。なんかこう、ちょっと驚いた感じに。よく言われますーありがとうございますーって返したら、「私久々に外に出てきたの。挨拶されるのなんかいつぶりかなぁ」って。そうなんですか?と聞くと、いや色々あってね、とこんな話をしてくれた。

 

 

そのお客さんは旦那さんと二人で暮らしてて(多分子どもいない)、あんまり裕福じゃなかったけど仲良く過ごしてた。でも旦那さんが病気になって、長いこと介護してたけど亡くなってしまった。

旦那さんは生命保険にこっそり加入していて、ちょっとびっくりする額の保険金がお客さんの元に入った。お客さんは寝耳に水。途方に暮れてしまった。

しかし多額の現金を持ったことを知るや、周囲の人間がガラリと態度を変えた。今まで音信不通だった親戚や自称身内が昼夜問わず連日電話をかけてくる。もちろん狙いは金。お客さんはすっかり弱ってしまった。

けれども「このまま負けてたまるか」と一念発起し、かかってきた電話全部に「現在精神に異常をきたしているのでまともな返事はできません」と応対、以降一切他人との関わりを断絶して籠城したという。買い物はネットとか宅配だったらしい。

で、全く誰とも会わなくなって一年ぐらいして友達から「あんた最近見ないけど何してんの」と連絡がきた。こいつも金目当てかと疑って「うつ病になっちゃって外に出れないのよ」と返すと「うつ病になるようなタマじゃないでしょう、みんな心配してるから顔見せなさいよ」とそれだけ言って終わった。もう良いか、とそのとき初めて安堵して、ようやく家から出たそうな。

 

「あなたはまだ若いだろうけど、だからこそお金を貯めなさい。お金は万能じゃないけど、必ず助けてくれる」

「お金持つと親戚が増える。でもその人達は信用しちゃダメ。絶対に信じられる友達を大切にしなさい」

「確実に愛されたいなら動物を飼いなさい。愛情を注げば同じだけ返してくれるから。人間じゃそうはいかない」

お客さんはそう締めくくり、「聞いてくれてありがとう」と会計に向かった。

「もうミカンが出てるのね」

と去り際に呟いたのが印象的だった。

 

 

なんというか、衝撃を受けた。ドラマみたいな話だった。嘘には思えなかった。

そのお客さんにはそれっきり会ってないけど、その話と最後の3つの教訓は今でも鮮明に思い出せる。きっとこの先生きていくなかで、いつか必ず役に立つと思う。

ホンワカパッパホンワカパッパ

この年齢にもなってドラえもんが好き。大山のぶ代時代のが特に好き。

 

 

のび太はいいなぁって思う。

ジャイアンスネ夫にいじめられても、先生に怒られても、しずちゃん(あえて原作意識)を出木杉にとられても家に帰ればドラえもんがいるんだぜ。

ドラえもんは大抵部屋で待ってて、のび太の泣き言をとりあえずは聞いてくれる。嫌々でも秘密道具貸してくれるし、何かあったときは心配して見に来てくれる。

どんなに喧嘩してもドラえもんのび太の味方なんだよね。空いてる部屋あるのに同じ部屋で寝起きして夜中のトイレにも付き合ってくれるのなんて羨ましい。

 

 

わさびドラはどうか知らんけど、のぶ代ドラはのび太が学校行ってる間はおつかい行ったり掃除したりしてるんだよな。確か大半の時間はママと過ごしてたはず。専業主婦のママも寂しくなくて良いだろうな。

のぶ代ドラはのぶ代の意見がかなり取り入れられてるから、原作より性格がマイルドで保護者目線なのだよ。原作じゃのび太を呼び捨てして罵倒しまくってるからね。

 

で、あれだよ。なんでドラえもん好きかって、絶対的な味方だからだよ。

なにがあっても見捨てないで、のび太が徹夜で勉強してるときは付き添いで起きててくれる。親だよねもう。血縁関係無いどころかロボットだぜ?すごくない?

 

 

のび太は「僕はダメな奴だ」って自分でも言ってるけど、多分私の方がのび太より自尊心低いから。プライドなんか無いから。自己紹介するときに「どうも、ブスでーす」か「クズです、よろしくね!」って言っちゃうから。

そんなクズな私に絶対的な味方でいてくれる存在が欲しいんです。秘密道具いらないから「よしよし、今日も頑張ったね」ってドラえもんに頭撫でられたい。甘えさせてくれー

 

 

 

 

そういえばのび太、先生に怒られたことはママに言ってもジャイアンにいじめられたことは言ってない気がする。ドラえもん来る前は一人で溜め込んでたのかな。

随分早くから一人部屋もらってるし、遊ぶものも勉強机も全部部屋にあるし、帰ってきて即自室で昼寝するからあんまり家族とベタベタしないのかも。ドラえもんいるからかもだけど、スネ夫ほどママ頼みでもなければジャイアンほどママを怖がってる訳でもない。意外とのび太って親離れしてるんだね。

 

ドラえもんがいるからのび太も盛大に甘えられるのかな、って思うとやっぱ羨ましい。

 

 

ちなみにドラえもん以外の推しは出木杉です。本名のヒデトシくん呼びしてたくらいには好き。

そもそも「感想」に評価つけんなよ

お題「読書感想文」

 

読書感想文が大嫌いだ。

読書は大好き、でも感想文は嫌い。原稿用紙3枚分とかダルすぎる。

 

何が嫌いって、ルールが多い。

 

やれあらすじ書くな、自分の体験入れろ、その本から何を学んだか書け。

 

そのくせルールが不明瞭なところもある。考察はして良いのか、文中の表現や語句そのものを題材と扱っても良いのか。というか入れないと埋まらんだろう。じゃないと「この本読みました☆」って銘打っただけの自分語りで原稿用紙書き潰す羽目になるだろーがよ。

 

 

で、とりあえず困ったときのWikipedia

 

読書感想文の目的は「自分の意見を持ちながらも内容を押さえて読む」「その意見をきちんと文章に書き起こす」ことだそう。

 

また、本と対話することで自分を見つめなおすこと、友達と感想文読みあって交流することも目的らしい。(これは別サイトより)

 

まぁ、理にかなっているっちゃかなっているね。Wikipediaにもあったけど小論文だよねこれ。小学校低学年には難しくない?

 

あと前向きなこととか良い感想書かないとペケつけられるのはやっぱり納得いかんよね。思ったこと書けってぬかすくせに思った通りに書くと文句つけやがる先生。こうして子どもは自分の意見を殺して相手の都合の良いことを優先することを覚えていくんや、きっと。

 

 

共感しました私も同じような経験があります、私は主人公みたいに強くなかったけど勇気をもらいました、この本から学んだことを大切にしたいです。こんなんしか書けるわけないじゃん。「主人公はぱっと見正義のために戦っているけど他の人は迷惑がってるかもしれないし実際独りよがりに行動してる、最後まで反対してた人は悪い奴扱いだけど全うな意見言ってる」なんて書いちゃダメなのか。主張がちゃんとしてれば良さそうだけど。

 

それに友達と感想文読みあうなら、同じ本じゃない限りあらすじって必要だと思うんだよね。ミリしら状態でいきなりネタバレ食らうんだよ、特に面白くないんじゃない?

 

 

まあ、最後に読書感想文書いたの10年近く前なので現状はわかりませんが。

もうちょっと趣旨がわかりやすいと良いよね。

 

音読の宿題もあんまり好きじゃなかった

オセロ、折り紙、ダンスが苦手なのは何度か書いたが、そこまでではないけどあんまり得意じゃないことがもう1つある。音読である。

 

自分が書いた文章にしろ他人が書いた文章にしろ、どうも出来上がった文章を読み上げるのが苦手なのだ。何かの発表の際、原稿を作っても上手く読めないからと要点を箇条書きしたメモだけ用意して本番に臨んだくらいだ。

 

 

多分、原因は書き言葉を口に出してしっくりこないことだと思う。

「友人と徒歩で食事に行った。」という文章を実際に口に出しても違和感しかない。「友達と歩いてご飯食べに行った。」なら耳ざわりが良い気がする。しかし字面だけなら前者の方が見ばえが良い。当然文体にもよるけども。

 

うーん、何を言ってるか自分でもわからなくなってきたけども、書いて黙読する向けの文章を読み上げるのがしっくりこないといったところか。

まあ、声や発音が不明瞭で聞き返されることが多いのと、イントネーションがおかしくて笑われるのがしんどいというのも理由だと思う。

 

自分で小説を書くときは、人物のセリフに限っては実際に声に出して読んでもおかしくない言葉を選ぶよう心がけている。

 

 

普通に話すのは平気だから、なんとかならんかねー。

書いてるときに泣いたのは一回だけある

久々に創作活動を再開した。

 

さて、リハビリを兼ねて短編小説を書き出したけれどどうもしっくりこない。というか、書き方がわからない。

 

今まではどういうテーマのこういう話を書こう、と決めて書きたい場面を置き、書くべき部分で繋いでいく感じで書いていた。

が、今回はその「書きたい場面を置く」という行程がうまくいかなかった。書きたいという感情だけで突っ走ってる感じ。冷静に読み返すと「あー、ここ書きたいんだねわかるよはいはい」と置き去りにされている感じになる。自分で書いたのに。

 

 

中学時代に見たミュージカル俳優へのインタビュー動画で、「泣ける場面で演じる役者が泣くと観客は泣けない」という話があった。感情が冷めてしまうらしい。

飲み会で泥酔してる奴がいると他の人は酔えなくなるように、恋人間で片方が熱く盛り上がりすぎるともう片方は逆に冷静になるように、人間は理性で相手に影響されぬように自制するようだ。(もちろんもらい泣きなんかはあるけどね。)

 

 

自分はこう思ってるのー!ってただ主張したいだけのときは自分の感情のまま書きなぐっても良かろうけども、読んでくれる相手がいるのならやはり淡々と書いていった方がいいと思う。理路整然としていた方が書き手の感情ではなく読み手の感情で読み進められる。

 

ちなみにこれは文章に限った話ではなくて、会話に関しても言えること。この話は超面白いから絶対聞いてほしい、ってときは、話し手は絶対に笑わずにゆっくり話した方がウケがいい。どうしても話し手は楽しくなっちゃってテンション高く早口になっちゃうけど、聞き手は置いてけぼりくっちゃって乗りきれず「うんうん、ハハッ」と愛想笑い浮かべて終わりになるから。

 

 

さー、書くか……