文系お姉さんの日記

元接客業、現在接客兼販売業の20代文系お姉さんの日記。とはいえその日の出来事はほぼ書きません。

石鹸で頭洗ってみた

いつ頃からか頭皮の状態が世紀末レベルになってしまった。
毛は乾かしたそばからベタつき、前髪をかき上げれば滲んだ血が指先につく有り様で、このまま放置すれば『北斗の拳』の雑魚キャラのようなモヒカン頭に自然の摂理でなってしまうのではないかと恐怖に駆られるほどの荒れようである。


なんでかな〜なんか心当たりないかなぁとここ数ヶ月の洗髪事情を思い返すと、

「今まで使っていたシャンプーがリニューアルした(成分が変わった?)」

のが原因ではないかと。


じつはリニューアル品に詰め替えた初日、洗った直後から痒いし夜に頭洗って次の日の朝にはフケがすごいしで散々だったのだが

「開けたばっかりで捨てるのもったいないし髪そのものは指通り良くなったからもう少し使ってみよう」

と謎の前向き思考(という名の貧乏性)で使い続けていた。


そして先日遂に生え際に湿疹ができてしまった。
さすがにヤバいぞと焦り、早急にシャンプーを変えることにした。


しかしながらゆゆしき問題がある。
そのシャンプーは無香料で添加物フリーかつ肌に優しいアミノ酸系のもので、これで肌荒れするとなれば市販のシャンプーはほぼほぼ使えなくなってしまうのだ。

じゃあ美容室のシャンプーでも、とアマゾンで見てみれば、1000円以下のシャンプーで頭洗っていた人間にはビビるお値段。
これで合えば良いが外れたら泣くしかない。


じゃあこれしか無いわい
とヤケクソで選んだのが牛乳石鹸の赤箱。

石鹸で頭洗うなんて髪きしみそうとか思ったけど、下手なシャンプー使って頭皮やデコの皮膚がぐちゃぐちゃになることを考えれば背に腹はかえられぬ。
もし合わなくてもお安いですし、顔や体洗えばいいから怖くない。


ということで早速石鹸で頭洗ってみた。


まず入浴前に目の荒い櫛で髪を梳かす。
これである程度汚れは取れるらしい。
どのくらい梳けばいいのか分からんかったので10分くらいやってみた。


次にお湯だけで髪や頭皮をしっかり洗い流す。
これでほぼ汚れは落とせるようだ。

じゃあ湯シャンでもええかと横着しようと思ったけど我慢。


そして石鹸を泡立てて頭を洗う。
この瞬間から髪がギシギシしてやらなきゃ良かったと後悔。
特に染めている毛先が泡立たない上に古くなったリカちゃん人形の髪ばりにごわついた手触りになっていた。

石鹸カスが残らないように丁寧にすすぐ。
髪の毛がキュッキュッと聞いたことのない音を出してた。


最後にリンゴ酢をお湯で薄めたリン酢を髪と頭皮全体に行き渡るように頭からかぶって、2、3分置いてから再びすすいでおしまい。

リン酢かぶったらギシギシの髪が一瞬でマシな手触りになって面白かった。
でもやっぱりきしみは気になる。


絶望しきって乾かしたら、まあ不思議。
サラサラ直毛になっていた。

若干手触りは硬い感じがするけどきしみってほどでもなく、酢臭さもない。
牛乳石鹸の良い匂いがする。


問題の頭皮も目立った異常はない。
痒みも一切ない。
いけるか!?と期待して就寝した。


一晩経った。痒みなし、フケなし。

手触りも良く、かなりサラサラ。
寝癖つかなくて驚き。過去最高レベルです。




石鹸とリンゴ酢リンスのメリットは
『安い、肌に良い、仕上がりが綺麗』


デメリットは
『手間がかかる、洗ってる最中が指通り悪くて地獄、かぶった瞬間のリン酢がクセェ』


とりあえずしばらくは石鹸洗髪でいくつもりだけど、ぶっちゃけめちゃくちゃ面倒くさいので良いシャンプーが見つかるか湿疹が治ったら止めるかもしれない。

買ったはずの本が無い

買ったはずの本が無い。

多分三ヶ月くらい前に買ったと思う。もっと前かもしれない。とにかく買ったはずなのに無い。


三ヶ月くらい前に部屋の大掃除をしたときに片付けた気もする。他の積み本と一緒に本屋の袋に入れて部屋に置いた記憶がある。

でも無い。

押入れを探ったりタンスの裏を覗いたりしても無い。ワンチャン本棚かも、と見たけれど無い。


文庫本ならまだ分かる。小さいしどこかの隙間に落ちていても不思議はない。
しかし無い本は文庫本ではなく、そこそこ厚みがあるからそうそうどっかにいくことはない。と思う。



随分と探して、ふと浮かんだ説が

「そもそもその本を買っていないのではないか」

というもの。


いやそんなことはありえない、確かに本屋でその本を見つけて、数ページだけ読んでレジへ持っていった。と否定したかったのだが、どこの本屋で買ったのかがさっぱり思い出せない。

数ページ読んで「また今度買おう」と棚に戻したような気もする。
値段は覚えている。1200円。でも払った記憶が無い。


買ってない本を探すことほど虚無的なものもないだろうと新しく買おうと考えたが「いやしかし買ってるわ、絶対買ってるわ」と変な自信は揺るがず未だに捜索中である。





と、ここまで書いて、

他の積み本と一緒に本屋の袋に入れた、と記憶しているのにその『他の積み本』が何かに一切思い当たる節がないのでやっぱり買ってないんだと思う。

思い込みって怖い。お小遣いに余裕できたら買いに行こう。

自宅から閉め出された話

それは突然のことでした。

買い物から帰宅して、玄関の戸を開けるため電子ロックを解除しようとしたところ、エラー音が鳴り響きました。
何度試せども鍵は回らず、エラー音ばかりピーピー鳴ります。よーく耳をすませば、エラー音の前に鍵が何かに引っかかっているような、かちゃかちゃした音が聞こえます。

以前から出かける際、家の中から内鍵を開けようとしてもやはり鍵が回らず解錠まで数十分かかることが度々ありましたが、外鍵が反応しないのは初めてでした。そして恐ろしいことに、家には誰もいないのです。完全に閉め出しをくったわけです。

かちゃかちゃした音と内鍵を開けるために数十分していたこと(ドアノブを掴んで渾身の力で引っ張る)から察するに、どうやら鍵本体とロックがかかる場所に微かなズレがあり、鍵が回るときにどこかに引っかかっているようでした。

原因は見当がつきましたが、問題は「今どうやってドアを開けるか」です。内鍵の場合は出っぱっている鍵を回すだけだったのでドアノブを引っ張りながら力づくで回してこじ開けるのも難しくありませんでしたが、外鍵はカードキーを読み込ませなければいけません。ドアを押しながらカードキーを読み込ませ、通った瞬間にドアノブをひねる必要がありました。


無理がある。


小一時間ドアと格闘し、ダメだったので電子ロックを担当している警備会社に電話して鍵の破壊をお願いしました。しかしながら警備会社は防犯専門、鍵の不具合そのものはアパートの管理会社に申し出る必要がありました。


管理会社、時間外で電話に出ませんでした。


半ギレの私の元に来た警備会社のお兄さん。鍵の破壊は不可能でも、開ける方法を管理会社の偉い人に鬼電して聞いてきてくれていました。

その方法とは、『解錠部分が正しい位置に来るまでドアを押しながらロック解除する』。

さっきまで私がやっていたことでした。


そこからは私とお兄さんの二人で、互いに持てる力全てをぶつけるようにドアを押しました。いや、押すというよりドアへの暴力でしょうか。お兄さんは全力タックル、私はカードキーを読み込ませるために片手が使えないのでひたすらにドアを闇金ウシジマくんばりに蹴りました。

よほど凄まじい音がしたのか、ご婦人が怯えた表情で隣室のドアから顔をのぞかせます。私は咄嗟に「こんばんは、お騒がせしてすみません!」とさわやかな笑顔を見せました。
よくよく考えたら『モロ警備員スタイルのお兄さんとともにドアに暴虐の限りを尽くしながらも笑顔の女』は大変不気味だったでしょう。本当にすみませんでした。


結局鍵が開いたのは夜になってからでした。

警備員のお兄さんにお礼の気持ちを表すために何度も頭を下げ、隣家へは謝罪の意を込めて深く頭を下げました。

20数年生きて来ましたが、セルフ閉め出しをくったのはこれが初めてでした。普通に一番最初に内鍵がおかしかった時点で管理会社に連絡すれば良かったですね。

この後日談もありますが、また別の機会に。

遂にすき焼き食べました

先日、他人の食べ残しですがすき焼きを食べました。
すき焼きはしゃぶしゃぶと並んで『憧れの食べたことないご馳走』として私の中で夢の食べ物で、去年しゃぶしゃぶを食べたので次はすき焼きか!と期待していた矢先でした。

いや、まず他人の食べ残し食ったのかよ意地きたねぇなと思われそうですが、これはきちんと葛藤した上でのことです。

そもそも私はあんまり親しくない人と食べ物を共有するのが嫌で、というか食事自体よっぽど仲良くないと嫌だっていう変な癖があるのです。

が。

「いや……食いたくねぇよ他人の残飯……でも食べ放題だから残すと金取られるし……」という貧乏根性の方が勝ったので頑張って食べました。
今にして思うと食欲とは別方向に意地汚い気がしますね。


そんな不本意な形での初すき焼き、感想は

「甘っっっっっっっっ!!?( ゚д゚)」

でした。

もうちょっとしょっぱいのかと思った。卵を入れてみたかったけど、食べ残しのため具がまばらで冷めかけだったので断念。

いえ、決してマズいわけではないのです。味わうものが入ってなかっただけなのです。食べ残しなので。
でも他人の食べ残しという嫌悪感を甘ったるい汁とともに飲み下した私は偉かったと思います。

ちなみにこのすき焼きを残した人は私を潔癖症だと思っているらしいんですが、たとえ潔癖症でなくても他人の食べ残しは誰も食べたくないでしょう。


不本意!初すき焼き、まじ不本意


今度はあったかくて具のいっぱい入ったすき焼きを、卵を絡めてお腹いっぱい食べたいです。

「き」の発音がおかしい

他人と会話していて聞き返されることが多いのだが、それはイントネーションとか訛りのせいだと思っていた。

そうじゃないと気づいたのは本当に最近、『聞き返す』がうまく言えなかったときだ。

聞き返すの『聞き』、最初の『聞』はかろうじて発音できるのだが後の『き』が息の抜ける音にしかならない。
ちなみに『き』だけではなく『ぎ』も続くと発音できない。





で、自分なりに調べたら、どうやら舌の動きがおかしいようだ。
イ段の発音のときに、なぜか舌の右側だけが歯に付くように動く。口の中で舌の形が左右非対称になっていたのだ。


下顎を上から見た図。普通のときはこう↓


イ段の発音のとき↓


多分他のイ段の発音もおかしいんだろうが、それこそ訛りやイントネーションの方が印象に残るからスルーされていたんだろう。
実際、長く喋ると舌がひきつるような感覚になり、変なところで噛んだり詰まったりするので『き』のせいでは済まないのかもしれない。

調べたところによると歯の生え方が偏っているのを舌でカバーするように発音するからおかしくなるようで。私の場合は乳歯から生え変わる際、近い歯が期間をあけずに抜けていったのでそれが原因だろうか。

舌の動きの訓練、または歯列矯正をすると良くなることがあるらしい。


なんと言うか、『き』の発音に気づく前からもちもちした話し方がコンプレックスだったのだが、なんとなくそれも解消できそうでちょっとホッとしている。

あと説明のためとはいえあんな絵を描くのに起動された描画アプリ、本当に申し訳ない。

フィルムトイの『ジュースカメラ』が楽しい

最近はフィルムのトイカメラにはまっている。

それまでデジタルのトイカメラは持っていたけどイマイチ使いこなせなかったし、かと言ってスマホやデジカメで撮ったものを加工してトイカメラ風にするのもあんまり好きじゃなかった。


以前の記事でトイカメラを掃除しようとして分解したらぶっ壊してしまった話があったが、その後買い直したものがこれ。ジュースカメラ。

可愛い見た目でちゃんとカメラ。しかも使い捨てじゃないやつ。紙パックのジュースみたい。
ストロー部分がシャッター兼オンオフのスイッチで、カチッと押すとシャッターが切れる。あとぐいって回すと勝手にシャッターが切れないようにロックできる。

使うときはこの向き。ご覧の通りシャッターが横になっている。手ブレしたとしてもそれも味か。もちろんフラッシュ無しなので明るい所で撮らないとダメ。

この「細かいこたぁ気にすんな、写るから良いっしょ」的なカメラ、当然デジカメと比べればぼんやりした仕上がりの写真になってしまうが、そこはトイカメラである。くっきり綺麗な写りを求めるならジュースカメラどころかトイカメラ自体買うもんじゃない。





先日スマステで紹介していた、写真を直撮りしてスキャンできる『フォトスキャン』というアプリを使用。


今回使ったフィルムはFUJIFILMの業務用フィルムiso100。安いからビビらないでばしばし撮れる。フィルムって本体+現像代が高い……。

でも楽しいわー。フィルムカメラ楽しいわー。

一応ミラーレスも持っているが、よっぽどお気に入りの写真が撮れない限りプリントすることはほぼない。
しかしフィルムカメラなら現像しプリントしてもらわないと出来上がりがわからないのだ。ちゃんと一枚の写真にしないとお気に入りか失敗かもわからない。

デジタルはデジタルで好きなところはいっぱいあるし、確実に綺麗な写真を狙って撮りたいならやっぱりデジタルだと思う。
でもフィルムカメラの、しかもトイの良い意味でざっくりした写りも大好き。普通に撮っただけの一枚が、どこか古い絵本を思わせるようなノスタルジックな雰囲気を醸す(気がする)。

今度は感度高いやつとか違うメーカーのとか、モノクロのフィルムで撮りたいなーって思ったり。


そしてド下手なりにフィルムの楽しさを知ったところで、遂に一眼レフに手を出そうとしている。デジイチと迷ったけどフィルムでいく。
一眼レフはまた色々勉強しないといけないけれど、大人になって勉強する機会なんてそうそうないしあくまで趣味の勉強だから楽しみ。

いつか自信持って人さまに見せられる、『作品』が作れたらいいなぁと思っている。



お題「カメラ」

みんな悩んでいる

くよくよするタイプではないが、それなりに悩みはある。
ブスとか頭が悪いとか、ちょっと深刻なことだと病気とその治療費のこととか。

自分は他人より劣っていると常々思っていて、それが悩みの大部分を占める。自分が自分ではなかったらこんな悩みなんてないだろうな、とも思う。

例えば私がガッキー似の天才美人女医だったら今の悩みはほぼ無くなると思う。容姿、知性、社会的地位に収入、そういったものが悩みだから。


では私が本当にガッキー似の天才美人女医になったとして、全く悩まなくなるかと言えばそんなことはないのだ。

今の悩みは今の私だから悩んでいるのであって、全くの他人になったらまた別の悩みが出てくるだけなのだ。現に私以外の人だってほとんどが悩みを抱えている。自分じゃなくなると悩みがなくなるなら、自分以外の他人で悩んでいる人はいないことになる。そんなことはない。


人間はどう頑張っても自分以外にはなれない。だから他人のことを完璧に理解することはできないのだ。せいぜい言動を見て大まかに心情を察するくらいだ。

悩んでいるときは特に他人の表面しか見えないから、他人が悩んでいることに気づかないのだ。更にやけに悩みを隠すのが上手い、一見人生チョロかったアハハに見える人がいるから余計「自分はこんなに悩みがあって、ああなんて惨めなんだろう」と悩みの上塗りをしてしまう。

ガッキー似の天才美人女医だって何かしら悩みはあるだろうし、もしかしたら自分以外の人になりたいと考えているかもしれない。
イケメンモデルだって整形したいくらい自分の鼻が気に入らないのかもしれない。

それはパッと見「贅沢な悩み」あるいは「自虐風自慢」と取れるかもしれないけれど、でも本人にとっては真剣に悩んでいることだ。


だから他人を見て「この人は悩みなんかないだろうなぁ幸せだろうなぁ」と思うよりは「みんな何かは悩んでいることがあるんだろうな」とぼんやりした謎目線でいた方が精神衛生的に良いと思う。


ちなみに自虐風自慢はどんなに悩んでいる風に見せても、どこか得意げで余裕こいてる雰囲気があるからすぐ見破れる。誉め殺しか優しくスルーしておくと楽である。