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文系お姉さんの日記

元接客業の20代文系お姉さんの日記。とはいえその日の出来事はほぼ書きません。

そーれイッキ!!!イッキ!!!

よっぽどのことがない限り出された食事は完食するようにしている。

と言うのも実家だと人数が多くておかず争奪戦になったり、一個しかないお菓子を何等分もして分けて食べたりしていたので「私ひとりでお腹いっぱい食べていいなんてありがたい!」と貧乏性が炸裂するからだ。
あとは中学生の頃からちょいちょい料理するようになって「頑張って作ったのに残されるとムカつく」「残されると片付けが面倒」と思ったから。

だから家族が作った料理もファーストフードも、知り合いの作った手作りお菓子も基本的においしくいただく。外食してエビフライが出たら尻尾まで食べてる。


で、その残さない対象、最初に出される水も含まれているんですよ。

他人が半端に飲み残した水を片すのも嫌だろうなぁ、って飲み切ってから席を立つようにしているのだけど、これがカフェやレストランだとグラスが空く前に「お注ぎします」されてしまう。また飲む。また「お注ぎします」。3杯くらい水だけ飲むのでお腹がぶがぶである。

最近は財布と伝票を握りしめ、店員さんがよそ見をしているうちに一気に飲んでお会計までダッシュするようにしている。サービス心から逃げるという意味不明な行動である。
飲み残せばいいんだけどね。


しかし今日、行きつけの喫茶店で最初から水入りグラスを2個出された。私は「いつも喉が渇いている、水好きな客」と思われているようだ。もちろん2杯とも飲み切った。


似たような価値観の人、いないかなぁ。

久々に

退屈しのぎにネットを見ているうち、とあるサイトを見つけた。

それは男性セラピストによる女性専用マッサージ、言うなれば女性用◯俗を個人経営している人のサイトだ。

男性用のそれとは異なり、妖しいデザインでもなく下品で煽情的な文句もうたわれず、加工しまくりんぐなキャストの写真も無い。シンプルで落ち着いたデザインに記された業務内容は、あくまで『これは女性の疲れた心と体を癒すマッサージですよ、自分の欲望を満たすためではないですよ』ということを推している。

セラピストの写真はぼかしただけの自撮りで、もっちりと可愛い雰囲気の男性だった。


寂しい女性のケアをしてあげたい、とそのセラピストは主張する。男性経験の無い女性や彼氏・夫と上手くいっていない女性をいたわり、寂しさを癒してあげたい、と。自分も寂しがり屋だから気持ちがわかる、とも。

もちろん料金は発生する。それは経費とセラピストの収入のためだが、「きちんと金銭のやり取りがあれば浮気や不倫ではなくなる」ことの証明の意味もあるらしい。



もしセラピストが本当に女性のためにとその商売をしているなら、それはそれでむなしくならないのだろうか。

女性を思っての言葉や振る舞いや行為も、金をもらってしまえば単なるビジネスの一環になる。どんなに相手を愛しても、相手が金を渡せばそれは売るための愛、紛い物の愛になってしまう。

相手に優しく、愛情を持って接することを商売としているなら、仕事中に相手=客に振りまく善意愛情その他諸々は全て商品になる。たとえ本当に愛情を抱いていても。

利用する客の女性たちは、彼が提供する愛が紛い物と割り切っていると思う。
偽物だから本気にならずに済む、相応の対価を支払えば自らが望む振る舞いをしてもらえる。本物の愛が不確かな存在で手にしているかわからないのに比べ、購入という手続きを踏んで手に入れた紛い物の愛は確かに存在する。
紛い物なら躊躇わずに貪れるだろうし。

セラピストの方も、本当に寂しがり屋なんだと思う。その商売をしている限り、やはり紛い物の愛を持った女性=客と触れあえる。単純に性欲云々だけではもたないだろうし。

私がフリーランスじゃなくて直接客と接する仕事を探していたのも「なんでもいいから沢山の人と喋りたい」という動機からだった。他人と喋らないと寂しいから。客からただの店員としか見られなくても、何か話せればすごく嬉しい。他人だし客だから、身内にはできないような優しい言動も好きなだけできるし。


おそらく身近な人間関係で確かな本物の愛の存在を感じられれば万事解決なのだろうが、直接金銭のやり取りがないフェアな関係は各々感情や事情を持つ人間同士の対峙である。
「これください」
「千円です」
「じゃあ千円ちょうどで払います」
「こちらお品物です」
というような流れにいつもなる訳ではない。嫌なときもできないときも、伝えてるのに受け取ってもらえないときもある。

そういうときの捌け口というか、本物の愛の代用として紛い物の愛を求めるんじゃないだろうか。


まあ純粋に性的欲求を満たしたいがために利用する人もいるのでしょうが。


久々に書いたら支離滅裂な長文になりました。やっぱ定期的に書かないと文章力は衰える一方ですね。

両手ならいけるから

今週のお題「2017年にやりたいこと」

 

あけましておめでとうございます。

当初『文系無職お姉さんの日記』として開始したこのブログ、無事無職ではなくなったのでひっそりタイトルから無職を外しました。

 

 

さて2017年、やりたいことは何かというと「片手でスチール缶をグッシャグシャに握り潰す」です。

 

内面容姿ともに良いところが無い私ですが、無駄に骨太で上半身のガタイが良く握力が強いのが数少ない長所です。ちょっとしたメスゴリラです。

ならスチール缶ぐらい余裕じゃろと思われるでしょうが、小さくて肉厚かつ指の短いクリームパンのような手をしてるので細い缶でも包めきれず力が入れにくいのです。

 

手の大きさは変えられないので、そのハンデを乗り越えるほどの筋力を身につけ達成したいと思います。

 

腹筋割る、とどっちにしようか迷いましたがこれにしました。どっちにしろ何の役にも立たないというツッコミはスルーで。

 

 

結局容姿なんざ自己満ってのはわかってるけど

容姿に関する悩みは尽きない。左右非対称の小さい目とかキメの荒い血色悪い肌、短い手足と筋肉がみっちりついたゴツい肩。背が小さいのに骨太で、いかにもメスゴリラである。病気になって骨密度が低下したんだから、中身がすかすかになるんじゃなくて細くなればいいのに。

 

 

好きな女性芸能人があんまりいないのは容姿に劣等感を覚えるからだ。「何でこんなに可愛いんだよ!」とイライラする。恋愛ドラマなんか面白くない。可愛い人がイケメンに愛されて終わりだから。ケッ。

 

 

しかしながらこの容姿へのコンプレックスはいわゆる異性目線、モテを意識したものではない。しいて言うなら同性の目、もっと言うなら自分自身の目を意識したものだ。

 

自分の容姿に満足している人間とそうでない人間のどちらが充実した日々を送れるのかは明白だろう。最も自分の顔面や体に密接して関わるのは他ならない自分自身だ。朝目覚めて顔を洗い、洗面台の鏡を見たときにクッソブスな、大嫌いな人間の顔面を目にした瞬間の嫌悪感と絶望。そのクッソブスが自分なのだ。

 

これが「そこそこ気に入っている自分」だとどうだろう。よーし今日もお洒落するかー私オレンジ系のチークだと肌綺麗に見えるんだよねーとか思うんじゃないだろうか。気に入っている自分を更に飾ってあげたくなるんじゃないだろうか。

 

正直自分の容姿に満足しているか否かに美人とかブスは関係ない。自分の顔が好きだと言い切れる人は自分自身を大切にしている人だ。私は自分の容姿が醜くて嫌いだから好きになれない。だから満足できないのだ。可愛くなりたいのだ。

 

 

あとはブスだと友達になりたい人がいるときにためらってしまうのが辛い。前述したようにクッソブスで大嫌いな自分を引っさげて人前に出ている。クッソブスで自分でさえ大嫌いな自分と友達になってくれだなんておこがましいし失礼だし、自分自身に嫌われる奴を好きになってくれる人なんていないし。

こうして卑屈で根暗なブスが生まれるのだ。

 

 

ブスとして生きる以上、美人のするものとは別次元の努力をしていくことになる。私の場合は愛想を良くすることに全振りした。いつも機嫌が良くてニコニコしてる私を「可愛いね」と言ってくれた人はいたけど、それは造形じゃなくて動作のことを言っているのだ。子ブタやブルドッグに言う可愛いと一緒だ。切ない以外のなにものでもない。

 

 

どうか来世は色白華奢な儚げ美少女に生まれて長身切れ長一重イケメンボイのお姉さんとイチャコラしてますように。

そういう人を癒す立場でありたい

中学時代は3年間、同じ男性教師が国語担当だった。

多分2年生のときに「盆土産」という小説を授業で取り上げた。出稼ぎに行っている主人公の父が、主人公が食べたことがないエビフライをお土産に盆に帰ってくる話。確か主人公の家には母親がいなくて(死別?)普段はおばあちゃんと姉との3人暮らしだったはず。

 

小説なのでまず初読の感想をノートにまとめ読み上げる、というのをやることになったが、当時は日に5食食べていたくらい常に空腹で、感想なんてエビフライおいしそうでしたしか思いつかない。内容もさっぱり頭に入ってこなかったので、自分の父が単身赴任していたときのことを思い出してそれを書いた。私も主人公と同じ経験してます、といった感じで。

 

 

私が幼い頃、父は単身赴任していた。今なら新幹線で2時間足らずで行ける場所だと知っているが、当時の私には父の働く街は外国ほど遠い場所だと思っていた。時々帰ってくる父はいつもお土産を買ってきてくれたけど、お土産より父が家にいてくれることの方が嬉しかった。

あるとき母と兄弟とで父の住むアパートを訪ねた。そのときのことはまだ思い出せる。実家とは全く違う、殺風景で色のない部屋。帰って寝るためだけの部屋だった。手紙の書けない私が父に送っていた幼稚園で作った工作だけがテレビ台の下に飾られていた。

それからしばらくして父は単身赴任を終えて帰ってきた。単身赴任中のことは今も話さない。私は父が単身赴任先に戻るたびに寂しいから嫌だと大泣きしていたけど、きっと父も寂しかったのだと思う。父は本当に家族のことを思って、ひとりで働いてくれた。私も家族を大切にしたい。

 

 

こんな内容だったと思う。苦手な音読を終えてノートから顔を上げると、発表を聞いていた同級生たちは静まりかえっていた。やっぱ内容に触れてないもんなぁ、と男性教師の方を盗み見ると、なんと涙ぐんでいた。同級生たちは男性教師が泣いていることに動揺していたらしかった。

すみません、と私は謝ったと思う。なぜかわからないけど。いやいや、と男性教師は涙を手で拭って、別の生徒への発表を促した。

 

 

あのときはなぜ男性教師が泣いたのかわからなかったが、現在なら理解できそうな気がする。

男性教師も妻子持ちで、家庭を守る男としての重圧に耐えていたのだと思う。私の父がひとりで知らない街に働きに出たのも、きっとその重圧のひとつだ。

 

 

私も子どもを持つともっと正確に理解できるのかもしれないけど、男女平等と言えど男性の重圧を完全に知ることはできないだろう。女性の苦悩を男性が理解できないように。

もっと万人に救いのある世の中にならんかなぁ。みんな心のどこかにあると思う、孤独を感じるばかりの色のない部屋。

 

 

お客さんの話

来店したお客様に「いらっしゃいませー」「おはようございます〜」と挨拶しながら品出ししてたんだけど。

一人で買い物に来てた60代くらいの女性のお客さんに「あなた良い挨拶ねー」と声をかけられた。なんかこう、ちょっと驚いた感じに。よく言われますーありがとうございますーって返したら、「私久々に外に出てきたの。挨拶されるのなんかいつぶりかなぁ」って。そうなんですか?と聞くと、いや色々あってね、とこんな話をしてくれた。

 

 

そのお客さんは旦那さんと二人で暮らしてて(多分子どもいない)、あんまり裕福じゃなかったけど仲良く過ごしてた。でも旦那さんが病気になって、長いこと介護してたけど亡くなってしまった。

旦那さんは生命保険にこっそり加入していて、ちょっとびっくりする額の保険金がお客さんの元に入った。お客さんは寝耳に水。途方に暮れてしまった。

しかし多額の現金を持ったことを知るや、周囲の人間がガラリと態度を変えた。今まで音信不通だった親戚や自称身内が昼夜問わず連日電話をかけてくる。もちろん狙いは金。お客さんはすっかり弱ってしまった。

けれども「このまま負けてたまるか」と一念発起し、かかってきた電話全部に「現在精神に異常をきたしているのでまともな返事はできません」と応対、以降一切他人との関わりを断絶して籠城したという。買い物はネットとか宅配だったらしい。

で、全く誰とも会わなくなって一年ぐらいして友達から「あんた最近見ないけど何してんの」と連絡がきた。こいつも金目当てかと疑って「うつ病になっちゃって外に出れないのよ」と返すと「うつ病になるようなタマじゃないでしょう、みんな心配してるから顔見せなさいよ」とそれだけ言って終わった。もう良いか、とそのとき初めて安堵して、ようやく家から出たそうな。

 

「あなたはまだ若いだろうけど、だからこそお金を貯めなさい。お金は万能じゃないけど、必ず助けてくれる」

「お金持つと親戚が増える。でもその人達は信用しちゃダメ。絶対に信じられる友達を大切にしなさい」

「確実に愛されたいなら動物を飼いなさい。愛情を注げば同じだけ返してくれるから。人間じゃそうはいかない」

お客さんはそう締めくくり、「聞いてくれてありがとう」と会計に向かった。

「もうミカンが出てるのね」

と去り際に呟いたのが印象的だった。

 

 

なんというか、衝撃を受けた。ドラマみたいな話だった。嘘には思えなかった。

そのお客さんにはそれっきり会ってないけど、その話と最後の3つの教訓は今でも鮮明に思い出せる。きっとこの先生きていくなかで、いつか必ず役に立つと思う。

ホンワカパッパホンワカパッパ

この年齢にもなってドラえもんが好き。大山のぶ代時代のが特に好き。

 

 

のび太はいいなぁって思う。

ジャイアンスネ夫にいじめられても、先生に怒られても、しずちゃん(あえて原作意識)を出木杉にとられても家に帰ればドラえもんがいるんだぜ。

ドラえもんは大抵部屋で待ってて、のび太の泣き言をとりあえずは聞いてくれる。嫌々でも秘密道具貸してくれるし、何かあったときは心配して見に来てくれる。

どんなに喧嘩してもドラえもんのび太の味方なんだよね。空いてる部屋あるのに同じ部屋で寝起きして夜中のトイレにも付き合ってくれるのなんて羨ましい。

 

 

わさびドラはどうか知らんけど、のぶ代ドラはのび太が学校行ってる間はおつかい行ったり掃除したりしてるんだよな。確か大半の時間はママと過ごしてたはず。専業主婦のママも寂しくなくて良いだろうな。

のぶ代ドラはのぶ代の意見がかなり取り入れられてるから、原作より性格がマイルドで保護者目線なのだよ。原作じゃのび太を呼び捨てして罵倒しまくってるからね。

 

で、あれだよ。なんでドラえもん好きかって、絶対的な味方だからだよ。

なにがあっても見捨てないで、のび太が徹夜で勉強してるときは付き添いで起きててくれる。親だよねもう。血縁関係無いどころかロボットだぜ?すごくない?

 

 

のび太は「僕はダメな奴だ」って自分でも言ってるけど、多分私の方がのび太より自尊心低いから。プライドなんか無いから。自己紹介するときに「どうも、ブスでーす」か「クズです、よろしくね!」って言っちゃうから。

そんなクズな私に絶対的な味方でいてくれる存在が欲しいんです。秘密道具いらないから「よしよし、今日も頑張ったね」ってドラえもんに頭撫でられたい。甘えさせてくれー

 

 

 

 

そういえばのび太、先生に怒られたことはママに言ってもジャイアンにいじめられたことは言ってない気がする。ドラえもん来る前は一人で溜め込んでたのかな。

随分早くから一人部屋もらってるし、遊ぶものも勉強机も全部部屋にあるし、帰ってきて即自室で昼寝するからあんまり家族とベタベタしないのかも。ドラえもんいるからかもだけど、スネ夫ほどママ頼みでもなければジャイアンほどママを怖がってる訳でもない。意外とのび太って親離れしてるんだね。

 

ドラえもんがいるからのび太も盛大に甘えられるのかな、って思うとやっぱ羨ましい。

 

 

ちなみにドラえもん以外の推しは出木杉です。本名のヒデトシくん呼びしてたくらいには好き。