文系お姉さんの日記

また無職になったぞ!!!!!文系お姉さんのnotリアルタイム日記

0.3〜0.5までの太さが好き

ボールペンがすぐ無くなる。

 


仕事柄、何種類かのボールペンを常に持ち歩く必要があるのだが、だいたい1カ月くらいで紛失か破損する。あちこち歩き回ったり力仕事をしたりするせいだと思う。まあまあ良いペンばかりだからちょっと悲しい。

 


つい最近も買ったばかりのボールペンが、ペン先が傷んで使い物にならなくなってしまった。まだインクもたっぷりあり、本体もぴかぴかなのに。

さすがにもったいないので替芯を探しにいったら一本も無くて、通販サイトを覗けばボールペン本体が3本買える値段だった。エコロジーマーク付いてる意味あるのか?某社のプリンターみたいに本体よりインクの方が高いから、セットのインクを使い切ったら捨てて新品でまたプリンターを買う方が得、みたいな話だ。

 

 

 

ボールペンを買う店はいつも最寄りの文具店で、だから多分顔を覚えられていると思う。いつも同じ店員さんがレジを打ってくれるし、いつもボールペン1本ずつしか買わないのに来店回数が異様なほど多いから。そろそろ店のスタッフ同士で『ボールペンババア』とか呼ばれているかもしれない。

 


しかし文具店に通うのはやめられない。文具店には良いペンがあり、良いペンの書き心地は作業ストレスをかなり緩和してくれる。

忙しいときの間に合わせに別の店で買った安くて可愛いボールペンがあるのだが、ペン先がガタガタで直線を引くと波打つ上にインクの出にムラがあって、大げさでなく業務に支障をきたした。仕事道具はケチってはいけない。

 

 

 

そこまでボールペンが大切なのになぜ扱いが雑なのだろうか。いっそ美容師さんがハサミ等仕事道具を入れるポーチを下げているみたいに、ベルトにペンケースでもくくりつけてみようか。制服のポケットに無理矢理ねじ込むのが良くないような気がしたので。

 


ちなみにシャープペンはどうでもいいので100円ショップのものを愛用している。でもこれだけは無くならないし壊れないのはなんでなんだろう…

 

瞳ちゃんも大好きだけど推しは長女の泪さんだったりする

幼稚園か小学校低学年くらいに『キャッツ・アイ』のアニメを見ていた。親がレンタルビデオ屋でまとめて借りてきて、一日中それを見ていたのだ。強くて綺麗なお姉さんが厳重な警備をすり抜けるのがかっこよくて大好きだった。

 


キャッツ・アイ』の何が好きかというと、ストーリーもキャラクターも魅力的だが何より主人公が三人姉妹の次女である、という点だ。私も同じく三人姉妹の次女なのでとても嬉しかった。

 


童話やおとぎ話にも兄弟or姉妹の話はあるが三人兄弟(姉妹)の話はあまり見ない。知っている限りでは三匹の子豚とシンデレラがあるが、三匹の子豚では上2人が怠惰の極みで末っ子に頼っているしシンデレラも姉達は末っ子をいじめるクソ女である。

 


末っ子ばっかり優遇されてて面白くない!!!!!と親に直訴した記憶が未だにある。主役にはなれないし悪役としても二番手以下、印象が薄い。当時妹が産まれて、可愛いけれど自分が蔑ろにされていると感じていた時期でもあった。

 

 

 

親がそれを覚えていてくれたのかは分からないが、その後見せられたのが『キャッツ・アイ』である。これは最高に面白かった。主役は次女だが長女や三女もなかなかに魅力的で、それぞれ違った役割で活躍している。自分の立ち位置に不満はあるものの、姉も妹も嫌いではなかった私にはぴったりだった。みんなカッコいい、でも主役は次女。というのが嬉しかった。

 


母は姉だから~妹だから~と産まれ順で区別するのが大っ嫌いで娘を全員平等に育てたため、私達姉妹はかなり姉妹仲が良い。それでも時々生まれる不満はマメにケアしてくれたので大きな仲違いをせずに済んでいる。

 


親が私の機嫌をとるために『キャッツ・アイ』を見せたわけではないとは思うのだが、自信を持つきっかけを与えてくれたことに変わりはない。

 

 

 

久々に見たくなってきたので今度借りに行こう。およそ20年ぶりに見ると当時とは違った感想を抱けるかもしれない。

 

たまに話し方異様に上手い人がいて、そういうときは聞き入っちゃう

身の上話を聞くことが非常に多い。

 


元々知らない人から話しかけられやすく、道を聞かれたり募金やアンケートを頼まれたりすることはしょっちゅうである。

多分アホそうというか無害そうな雰囲気があるんだろうなとは思う。あとは「たとえ断られたとしても優しい断り方してくれそう」みたいなことは言われた。

 


まだ道案内なら良いが、初対面から3分くらいで身の上話を聞かされることが多々あるのだ。相手はおばちゃんかおばあちゃんで、たまーにおじいちゃん。

 


だいたいはこんな病気があって~お金に困って~でも可愛い子どもor孫がいるから頑張れて~今は幸せです、的な話。言ってしまえば自分語りだ。

仕事中ならまだ聞いてる間に商品を勧めて買ってもらえるから耐えられるのだが、完全なプライベートでも身の上話をされるので参ってしまう。一度その話が長くて仕事の電話が取れなかったこともある。

 


おそらくもう二度と会わないか会っても数年後かなとぐらいの人なので適当にあしらえば良いのだろうが、どうも他人を邪険に扱うことに抵抗があるのでおとなしく聞かされることを選んでしまう。私がシカトこいたらこの人傷つくだろうな、それは嫌だなと考えてしまうのだ。

 


身の上話をしてくる人は、きっとみんな寂しいんだと思う。話し相手がいなくて、自分の生き方を肯定してくれる人もいないからそれを叶えてくれる存在が欲しいのだろう。だから私みたいに一切反論せず(興味がないから)に肯定の相槌しか打たない(どうでもいいので)人間を好むのかもしれない。

 


聞き手の本心がどうであれ、ただ自分の話を聞いてほしい人は多いんだろうな。

 

 

 

 

 

 

ところで、あまりにも道を聞かれることが多いのでどういう人間が聞かれやすいかネットで調べたところ

 


『服がお洒落ではない人』

 


という衝撃の一文があった。

 


お洒落していない

普段着で出歩ける

じゃあ地元の人?

なら道を知っているはずだ!

 


ということらしい。

 


私、前に3回しか行ったことがない池袋で道を聞かれたんだけど…やばくないか…

 

 

キレるけど八つ当たりはしない主義

ついに『黄金の風』、ボートノラナカッタ・フーゴまで話が進んだ。なんだろう、アニオリでジョジョラーをコロ助するつもりなのだろうか。ただでさえ暗チをアニオリで丁寧に描写して暗チ沼に突き落としてくるのにフーゴまで掘り下げるなんて何事だろう。しかもアニオリは荒木先生監修と聞く。公式?公式で良いの?

 


ジョジョのアニオリは原作の補完的に入れているらしい。ナランチャがジュースとチョコレートをいつ買ったかもちゃんと描写されていた。ものすごく自然に入れるから「え、今のアニオリ!?」となることも多々ある。正直フーゴの過去話だけはびっくりしたけど『恥知らずのパープルヘイズ』とあんまり矛盾しないようになってるから、まあ…

 

 

 

いきなりジョジョで始まってしまったが、今日の話は「自分のキレどころが謎」というものである。

それこそ『黄金の風』のフーゴがそうで、「ここでそこまでキレる!!!?」みたいなキレ方をするのだ。

 


私はとにかく短気で待つのが大嫌いである。しかし渋滞や行列でイライラすることはほとんどない。予定を組んだ段階であらかじめ混むのがわかっているのなら「そういうものだ」と割り切れるので腹も立たない。飲み物と暇つぶしさえあれば全然平気。

 


ダメなのはレスポンスの悪い電子機器だ。具体的にいうとパソコンの読込中アイコン。あれが出ると即キレる。遅ぇんだよ雑魚!!!!!と機械に対して暴言を吐いてしまう。スマホもアプリやウェブページの読み込みに時間がかかると速攻で閉じてしまう。イライラするから。

 

 

 

渋滞や行列のように予測できて避けられないものに対してはキレないが、速いのが普通であるものに時間がかかるのが耐えられない。ド級のせっかちである。

 


なんか前にもこんなこと書いた覚えがあるけれど気のせいだろうか。

 

 

 

あとは本当に些細なことなのだが、去年の飲み会で割り勘として出た金額より数百円多い額を幹事に取られ、差額をポッケナイナイされたのは未だに根に持っている。たかが数百円だが私ひとりからではなく全員から取ったのである。多分幹事の払う分くらいにはなったんだろう。まだムカつくし機会があれば言ってやろうと思っている。

 

 

 

キレる状況は説明できるがそれの何が気にくわないでキレるのかはわからない。そのキレるポイントさえわかれば避けられるし無駄にキレなくて良いんじゃないかな、と思っている。

 


キレると雰囲気悪くなるし、疲れるからね。

 

 

 

2の推しはロレ王子

中学生のときに友人関係でもめて、卒業までの半年間ぼっちで過ごしていた。

 


理由は本当にしょうもないので言わないが、今同じ状況だったら馬鹿か付き合いきれんわとこちらから友やめしていた程度のものだ。まじであの年代ってくだらねえことで仲違いするよな。そのまま大人になっちまう奴もいるけどな。

 


閑話休題

 


その暗黒期を支えてくれたのがゲーム『ドラゴンクエスト』である。このときは2と8をプレイしていた。みんながプリクラを撮ってカラオケで歌っているなか私はひたすら紋章を集めドルマゲスを追いかけていた。

寂しくなかったと言えば嘘になるが、同じクラスの人は誰も私を友達だと思っていないのだからこちらも友達だと思わないことにしていた。学校から超絶近い病院に1週間入院していてもお見舞いに来てくれたのは小学校からの付き合いである他クラスの子だけで、同じクラスの人は誰も来なかった。退院後の初登校でも「あ、いたんだ」で済まされたのだ、何を引け目に感じるんだ。

 


そんな中でもドラクエは救いだった。ストーリーや音楽はもちろん、8はグラフィックもとても綺麗で、1時間くらいずっとフィールドを走っているだけでもとても楽しかった。推しキャラはククールという回復魔法が得意な美青年で、これがまた顔面が良くて永遠に見ていられた。あとイシュマウリという異世界の美青年もいて、またまたこれも美しかった。ドット絵至高派だったのに揺らいだ。

 


2はひたすらやり込んだ。今までプレイした全ゲーム中唯一攻略本に頼らず自力でクリアしたゲームである。というのも2は敵がハチャメチャに強くて攻略本があったところで役に立たないのだ。即死呪文を連発してくる鬼畜モンスターが湧くラストダンジョンを無理矢理抜けたら、なんと回復スポットが無いのだ。ふっざけんなこっちは味方2人しんでるんやぞ!!!!!魔法使えないやつしか残ってないわ!!!!!とゲームボーイを投げそうだった。エンカ率とパワーバランスがおかしいんだよ2は。

 


こんな風にククールを愛でたりロンダルキアで暴れたりしながら針のむしろの学校生活をやり過ごし受験をこなし、無事中学校を卒業できた。

 


ドラクエが無かったら学校に行けなくなってしまっていたかもしれないと考えるととても怖いし、ドラクエをやるがために学校を行かなくならなかったのは幸運でしかなかったと思う。

 


難病発覚してやさぐれていたときもドラクエがあったから気を紛らせることができたし、仕事が嫌で嫌で仕方ないときも休憩時間にドラクエをやる楽しみを作ったおかげでなんとか職場に行けていた。

つらいときはいつでもドラクエが助けてくれた。ドラクエがあって良かったと本当に思う。

 

 

 

現在は特につらい目には遭っていないが『スライムもりもりドラゴンクエスト2 大戦車としっぽ団』をプレイしている。子ども向けのはずなのに大魔王が倒せないんだけど…

 

自然と腰痛もマシになった気がする

ふと気づくと右膝が痛くなっていた。

 


膝といっても関節ではなくて筋?筋肉?あたりで、張っているようにぴりぴり痛む。揉んでも冷やしても、温めても症状は改善されなかった。

まさか血管に異常でも起きたか!?とめちゃくちゃビビった。持病があるので長年薬を飲み続けていたが、その副作用かもしれないと思って本気で焦った。病院に行って診てもらうかと整形外科の診察券を手に取るも、以前そこで足の痺れを診てもらったらポケモンGOのやりすぎだったことを思い出して躊躇ってしまった。

 

 

 

こんなときこそグーグル様である。どうか重病でありませんようにと祈りながら検索窓に膝の痛み方と箇所を入力してみた結果

 

 

 

『運動不足の中高年によく見られる症状です』

 

 

 

と出た。

 

 

 

いや、良いんだ良いんだよ重病でも副作用でもなかったのだから。しかしながら運動不足とは何だ、しかも中高年とは。まだ25歳、中高年にはまだ遠いはずなのに。

でも病院に行かなくて良かった。ポケモンGOのやりすぎで受診した次に運動不足で受診したら医者に「極端なんだよ程々に楽しむという概念が無いのか」と叱り飛ばされてしまっていたところだ。不幸中の幸いだ。

 


というわけで最近スクワットを始めた。早く良くするために頑張ろうと思って最初からフルスロットルでやって結果続かない、ということにならないように毎日少しずつ行っている。できる限りゆっくりやるといい感じに負荷がかかる。

 


今日は「音楽流しながらやると楽しいかも」とジョジョの1部と2部のOPを流しながらやってみたら予想通り楽しかったけどすっっっごくキツかった。2曲ともあんまり速いテンポではないので自然とゆっくりスクワット→ハチャメチャにキツいという感じ。

まあ波紋の修行だと思えば何とか…

 

 

 

スクワットが効果を発揮したのか膝の痛みは完全に消えた。家の中で好きなときにできるので楽だし特別な道具もいらないので続けられそうだ。

まじでもうアホな原因で整形外科に行きたくないので健康な脚を維持していきたい。

 

最近はアクション映画が好きです

両親がかなりの映画好きだったので、小さい頃はしょっちゅう映画館に連れて行ってもらった。

 


特にドラえもんとコナン、ポケモンは「新作映画やるけどいつ観に行く?」と親が提案するくらいだった。観るか観ないかではないあたりが既にオタクマインド養成機関である。好きなものには躊躇いなく突っ込むという精神はこの時から鍛えられていたのだろう。

 


親が提案してくれる映画はいつも文句無しに面白いので、映画の誘いを持ちかけられたときは大喜びだった。親に連れられて映画館へ行き、上映前の時間でパンフレットをじっくり読み込んでから映画を観る、という流れが本当に好きだった。今でも大好き。

 

 

ただひとつだけ苦手だったのが上映前の他の映画の予告で、よく通っていた映画館は何故かホラー映画の予告ばっかり流していた。さすがに幼稚園児にホラー映画は予告でもキツく、親かおばあちゃんの肩に頭を押しつけて耳を塞ぎ、予告が終わったら教えてもらっていた。

 

多分怖い怖いとぎゃあぎゃあ喚いていただろうし周りに迷惑だったなあと今更申し訳無く思うが、思い起こせば観に行った映画はほぼ子供向けだったので、子供が多いのをわかっていてホラー映画の予告ばかり流す映画館の方が問題だったのではないか。ジャンル毎に広告変えられないのか。

 


小学校高学年くらいからは親の同伴無しで映画館に行くようになり、兄弟や友達と沢山映画を観た。未だに「この映画あの人と観たなぁ」と思い出せるくらい楽しかった。

 

 

大人になってからは忙しいのもあり、なかなか映画館へ行けなくなってしまった。あとでDVDを借りて家で観て、それはそれで面白いし楽しめるけれどやっぱり映画館で観たいこともある。

映画館で観る映画は1番身近な非日常だと思う。

 

 

明日は久々に映画を観る予定。楽しみ楽しみ。